野辺北西部小字(コアザ)考

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4 出 口(デグチ) 四六四番地〜五五七番地
 出口という地名も時々見かける、都内では港区に出口、出口上、都下では立川市柴崎町に出口、八王子市
 下一分方に西出口などがある。
 出口は入口の反対で、ある囲いの中から出る口であることにまちがいない。
 その囲われた区画が何であるかが問題となる。
 その区画が城郭とか武将や土豪の居館などの軍事上の施設、あるいは牧場とか特殊な作物の栽培地な
 どもあるかもしれない。
 野辺の場合の「出口」としては、一つは古代の小川牧の西の「出口」ではなかったかということ、
 もう一つは小川にあったと推定される中世の小川氏か大石氏関係の施設の「出口」ではなかったかという
 ことである。
 いずれとも決しかねるが、地形からみてその区画は、出口より東南方に存在したようである。
●諏訪坂(スワザカ) 東秋留駅の西側で、富士見台団地の横を五日市街道にむけて登っていく急な
 坂である。
 これは「オスワ坂」とも「医者坂」ともいわれていて、鎌倉街道の中にある坂の一つである。
 下へ下ると東秋留小学校の東側ヘ出て、右折して雨間の地蔵院の横の待合坂に続いているのである。
 この坂が諏訪坂とよばれるようになったのは、江戸時代この近くにお諏訪様があったからで、今はお諏訪様
 はなくなっている。
 『新編武蔵風土記稿』のニノ宮村の条に諏訪社社地年貢地、六十坪許、野辺村の界にあり、小祠にして、
 二間四方の上屋あり、南向、村内玉泉寺持。
 とある諏訪社がそれである。
●諏訪の下(スワノシタ) 諏訪坂の下の畑をいった。諏訪社の下という意味であろう。
●にら沢 東秋留小学校の東北裏、五二〇番地から三〇番地にかけてのあたりをいう。
 段下で雨でも降ると水が湧いて、小流となって、普門寺の裏の沼地に水が流れたという。
 その湿地にニラが生えていて、「ニラ沢」といったものであろう。
●六 道(ロクドウ) 東秋留小学校の東南前、三本の道路が交叉して、六道とよばれた。
 昔はさびしい所で、辻に地蔵様がまつられていた。今はその道路の一
 本は都道になり、昔とちがって賑やかになったが、辻にはやはり地蔵様がたっている。
            

5 宮ケ谷戸(ミヤガヤト) 五五八番地〜六四八番地
 出口の南に接し、宅地付の西側である。六道の南方一帯の地域である。
 宮ケ谷戸の宮は何をさすのであろうか。
 「宮のある谷戸」であって、谷戸は谷とか湿地をさしていて、関東地方に多い地名である。
 特に東京都から神奈川県にかけて分布している。
 この近くでは多摩丘陵とその周辺地帯、武城野の丘陵、台地に多くみられる。

9 七 辻(ナナツジ)  一〇八二番地〜一一四三番地
 五日市街道をはさんで展開し、東北の隅には東秋留小学校が存在する。
 七辻は、雨間から待合板をのぼって来て、五日市街道に出た付近をいう。
 六道の辻はよくあるが、七辻はめずらしい。
 『日本国語大辞典』にも七辻の項は出ていないが、単純に考えれば、「七つの辻」であろう。
 ただ現地をみると、どうも[七つの辻」がないのはどういうわけであろうか。
●飯坂下(イイザカシタ) 東秋留小学校の校庭東隅にあたっている。
 飯坂の下にあった畑をいう。

10 横 吹(ヨコブキ)  一一四四番地〜一二五四番地
 七辻の北側にあって、雨間との境である。
 北側を東西にJR五日市線が走っている。
 東秋留小学校の裏側にあたる。
 雨間の中村家文書の文政二年(一八一九)の『御水帳』に「横吹台」とある。
 おそらく横吹の上の台地をいったものであろう。
●横 吹(ヨコブキ) 多摩では、青梅市二俣尾、八王子市上恩方にある。
 ヨコブギはヨコとフキと分けて考えられる。
 フキは、富貴、吹、蕗などと書かれるが、その意味は、@深田、A風の吹く土地、B吹雪、C植物名(山吹
 、蕗)、D炉師(〈フイゴウ、フキ〉より)(鏡味完二著『地名の語源』)などいろいろある。
 フキはまた崖の古語ホキ(歩危)の転じたものという説もある(鈴水樹造著「多摩の地名語源考』)。
 「吹という語は、付近の平地よりも小高い所にあたっており、台地のはしとか、山麓傾斜地の末端、あるいは
 水田地帯の中で幾分高みの自然堤防などにみられる地名である」(松尾俊郎著『日本の地名』二三〇頁)
 という。
 吹上という語は一般的には「風の吹き上げる高み」という意味に解せられるとされている。
 ただこの「横吹」の∃コは「何から横にある地」ということであろうか。
 フキを崖と解すれば、「横吹」は「ガケの横の土地」ということになる。
 また『地名の語源』のいう「風の吹く土地」も捨てがたい。
 『風位考資料』(柳田国男編、明世堂、昭和十七年)によれば、「ヨコブキ」は「東風」(八丈島、中立郷村)
 とある。
 この上地も東南にむいた「東風」のよくあたる土地である。
 ただ『風位考資料」は多摩の資料でないのは難点であるが、一考の資としたい。
●飯 坂(イイザカ) 東秋留小学校の東の道を、JR五日市線の方へ向っていって、段丘を斜めに登る
 板である。
 昔、検地に来た役人が、ここで昼食を食べたので「飯坂」というのだと、聞書にある。
 しかしこれは付会であろう。
 たまたま役人が来るたびに、その場所で昼食をたべたとしても地名にはなりにくい。
 飯(イヒ)はウヘ (上)と同じで「高いところ」をさすことばである(「古代地名語源辞典」)。
 鏡味完二氏の『地名の語源』にも「イー 上の方」とある。
 「自然堤防や段丘などの、小高い所にある田や土地」をいうのだと説明している。
 「イー」が上の方だということは『日本国語大辞典』には見当らない。
 『全国方言辞典』に「いー」は「@上、上の方、南島喜界島」とあって、やはり「いー」は上のことをいっている
 ことが分かる。
 飯坂は「高地へ登る坂」という意味である。
 福島県には飯坂温泉がある。





以上の出典は、あきる野市東部図書館エル所蔵の「秋川市地名考」より



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